長男が不登校にならないように【不登校を経験した私自身が思うこと】
長男は3歳のころから児童精神科に年3,4回ほど通院しています。
診察の度に、そのときそのとき悩んでいることをたくさん聞いてもらい、乗り越えてきました。
知能も、初めは療育手帳ももらっていましたが、今では大きくのび、知能の面では特に問題は抱えていません。
療育手帳を返納したころに児童精神科の主治医に
差が広がり、また知能が下がってしまうことってあるのでしょうか・・
と質問したことがあります。主治医は、
引きこもったりして集団生活から離れていくともしかしたらあるかもしれませんが、今の生活が続く限り大丈夫だと思います。
そう言われて、やっぱり集団生活って大事なんだ!と深く納得し、不登校にならないよう、学校が楽しい場所になるようにサポートしてきたつもりです。
ただ、私自身は小学校3年生の1年間だけ、不登校を経験しました。
不登校を経験した私
きっかけは初めてのクラス替え
なにかいじめがあったとか、ショックなことがあったわけではありませんでした。当時私の小学校は2年に1度のクラス替え。なので私にとって初めてのクラス替えでした。2年間同じクラスで仲良くしていた、しほちゃん。このしほちゃんと、クラスが離れてしまったのです。
そんなことで?と今では思いますが、環境の変化が苦手だった私にとって、教室でどのように過ごしたらよいのかが分からなくなったんだと思います。気付いたら学校に行けなくなっていました。
親に腹痛を訴え休んでいた
誰と仲良くして遊んだらいいのか分からなくなり、さらに1回休むとどんどん行きづらくなり、負のループにはまっていきました。朝身支度はするのですが、登校時間になると、お腹の痛みを訴え、母がもう休んでいいよと、学校に休みの連絡をしたあとは、すごく気持ちが楽になったのを覚えています。
今日は学校に行かなくていいんだ・・・と。と同時にもうお腹は痛くないのに、休んでしまった罪悪感。安堵感と罪悪感のごっちゃ混ぜでした。
保健室登校
登校したものの、教室に入れずに保健室で過ごしたこともあります。保健室のベッドで、胸が苦しくなり、結局母に迎えに来てもらい早退したこともあります。あの時はとにかく苦しかった。学校にいることが苦しかった。居場所が無いように思えたのです。
母が受け止めてくれたから1年で済んだ
父は不登校になっていたことを知らない
当時母は近所のスーパーにパート勤務。父は自営業のため、家にいたら私が学校を休んだことがばれてしまう。当時父は怖い存在でした。そのかわり母は優しい、何でも言える存在でした。
母は父にばれないように、押し入れにかくまってくれたり、自分が仕事のときは私もついていき、スーパーの近くで時間をつぶすような生活でした。
あの時に母が学校に無理に行かせようとしなかった。だから私は壊れなかった。だから1年後に学校に行けるようになったんだと思います。私には必要な時間でした。
担任の先生ともよく話をしてくれていた
学校を休みすぎており、担任の先生が心配して度々家庭訪問に来てくれていました。その時に母が、父に不登校を内緒にしていることを先生に話してくれました。そのこともあり、通知表に成績をつけないと学校に行けてないことがばれてしまうということで、母が担任の先生に成績をつけてくれるようにお願いをしてくれていました。そこまでして、母は私を守ってくれていました。
学校に行けるようになったきっかけ
仲良くできる子ができた
すぐ近所に同じクラスの女の子が住んでおり、3年生終わりの春休み中に、近所で顔を合わすようになり、自然に仲良くなっていきました。一緒に当時流行っていたローラーブレードをやり、一輪車をやり。すっごく楽しかったのです。そんなささいなきっかけではあるけれども、4年生になってとてもスムーズに学校に行けるようになったのです。
パワーを充電する時間だった
初めての環境の変化にとまどい、心がついていかず、自分でもどうしたら良いのかが分からなくなった3年生。今でも環境の変化は苦手だし、心がついていかないことも多いです。だから当時8歳の私からすれば、学校行けなくなっても、仕方がないよね・・と思えます。
ただ、それを受け止めてくれる存在がいたから、充電期間がとれた。母が父のように学校に行ってこい!!の人だったら、私はどうなっていたのだろう・・・
まとめ
不登校を経験しても、母がいてくれたおかげで学校に行けるようになったこともあり、私も自分が母になって子どもが不登校になったら、絶対に無理に学校に行かすことはしないと思ってきました。
長男が、学校が楽しくて居場所を感じられる場所になるよう先生方とともにサポートしてきて、今のところ行き渋りはありますが、一緒に登校すれば行けるという状態です。
自閉症をもち合わせていることもあり、学校に行けなくなることは避けたいと思っていますが、あの時の私のように学校が恐怖の場所になり、足が動かなくなるようなことがあれば、私の母がしてくれたように、長男にもパワーを充電できる時間を与えたい。そんな母になりたい。
そう思っています。